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党が復権か 後継者問題 北朝鮮公式メディアを深読みする ルーディガー・フランク

北朝鮮のメディアを読むことはなぜ意味があるのか

北朝鮮で何か大きなことが進行しているのかもしれない。10月初旬、北朝鮮の公式メディアは、その一族王朝が終わった後の次の指導者が誰になるのか明らかにし始めたのかもしれない。だが、それほど直接的にした訳ではない。従って、まだ憶測的な結論に到達する前に、いくらか状況を説明する必要がある。

北朝鮮のようなイデオロギーに基づいた政治体制の社会主義社会は、重要な問題ばかりではなく、小さな問題も最高のレベルの秘密主義で取り扱うことで知られている。これは、調整が高度に中央に集中し、厳しく階層化された命令系統によって、政治的権力が独占化され、行使されている体制においては、最高指導部は最も細かいことでも責任を負っているためである。このため、どの失敗も指導部の責任と見なされ、指導部とその政治システム自体を守るために、情報は注意深く選別される。ジョージ・オーウェルが『1984年』で真実省をその目玉的存在にした際には、それをまったく正しく理解していた。

けれども、情報をきつく管理しようとする強迫観念は、その体制の弱点の一つである。国家社会主義国で政治的に自覚している人々は、自由民主主義国の人々より、より注意深く公式発表を読む傾向がある。しばしば、彼らは指導部が公に暴露されてほしくない真意を発見する。確かに、国営メディアは多くの問題について情報を提供しないかもしれないが、それが指導部の見方を反映していることは間違いない。なぜなら、その立場を国民に伝えるのが彼らの仕事であるからだ。強大な独裁者が支配するようなイデオロギー社会であっても、指導者は彼らがすることを正当化しなくてはならない。重要な措置は、2002年7月の経済調整策の場合のように、準備がされなければならない。

金正日後の指導部の問題が北朝鮮のマスメディアによって慎重に準備されていないとは想像し難いことである。アナリストが金正日の息子の母やその他の親族などの人格についての異例な報道があると、すぐさま反応するのはこのためである。新しい指導者の発表があるとすれば、労働新聞の注意深い読者はほとんど確実に、それを事前に知るであろう。なぜなら、北朝鮮の人々は、それを確実に受け入れるための準備がされていなければならないからだ。

わたしは2004年以来、第3の「偉大な指導者」による継承はありそうもなく、カトリック教会のローマ法王のような同輩中の首席(primus inter pares)となる人物に率いられた集団的指導部の形をとるであろうと主張してきた。この説の根拠として、金正日が彼自身を正統性の源にするようなことをほとんどしてこなかったことを主に示してきた。そうすれば息子の一人にその機能を継承させることができるが、彼はその代わりに、この機能を亡き父親に残すことを選び、彼の息子を「偉大な指導者」の孫に変えた。息子の一人を後継者として明確に指名することができなかったばかりでなく、「偉大な指導者」の孫としての彼らの地位は、困難な時代に国をまとめるのに必要な強い支配を確実にするには、弱すぎるかもしれない。事態をコントロールできなくなることを防ぐためには、変化は継続のように見えなければならない。正当化は現在の指導者から由来しなくてはならない。集団は現在ある既知の権力集団に基づかなくてはならない。
労働新聞からのヒント

それでは、10月8日の労働新聞に隠されているかもしれないヒントとは何なのか?「金正日委員長の後継者が選ばれた」などという発表はない。しかし、これなどはどうであろう。「党創立記念塔は絶え間ない大勢の参観者を引き付ける」。これは編集者やその上司を除いて、誰も関心を持たない出来事についての退屈な報道の一種にすぎないかもしれない。しかし、われわれが探している見失われたヒントかもしれない。まず第一に、金日成への記念碑はたくさんあるが、金正日への記念碑はない。組織としての軍への記念碑もない(個々の兵士や戦闘についての記念碑はたくさんあるが)ことは注目に値する。永遠の主席を超え、記念碑によって敬意を払われる唯一の政治的組織は党である。その塔が建てられたのは1995年で、それは党創立50周年記念であったばかりではなく、金日成の死後1年であり、先軍政策(軍事優先政策)が発表される前のことであった。

記念塔に毎日平均2000人の軍人が訪れ、420万人の国内の参観者、20万人の海外からの参観者があったというのは人目を引く記事である。塔の前でお辞儀をすることは、服従の一般的なしぐさである。要点を明らかにすると、その記事は党の職員、軍人、官僚を含むすべての参観者が塔について「説明を受け」、深い感動と尊敬の念を示した、と説明している。党は(社会主義でも先軍政策でもない)チュチェ型の巨大な政治組織である。その記事は結語で、党は卓越した思想と活力に満ちた指導性を基礎に無敵であると言っている。後者はチュチェの柔軟性と変化する環境に適応する指導者の能力のことを言っているのかもしれない。しかし、それはすべての北朝鮮の人々の母である党により維持されたチュチェ思想は、指導部が変わっても永久に残ると示唆しているようでもある。

クレムリノロジー(クレムリン研究)を極端に進めると、チュチェが先軍を支配し、軍は党に従属し、党の地位は、どの伝統的社会主義体制でも行使すると予想される主要な機能にまで回復させられていると主張できる。これは、北朝鮮の次の指導部は党を中心にした集団型で、継続性が安定のカギになるという考えとよく符合する。

党創立日の過去の取り上げ方

10月10日は党創立記念日である。そのため、そうした報道は記念日での標準的な自賛に過ぎないということが得る。ところが、2000年から20007年の関連した報道を見てみると、同じでないことが明らかになる。反対に、党創立記念日が1995年にできた塔への参観の報道で祝われたのは初めてであった。以下の短い分析が示すように、関連した記事の色調に興味深い変化があることに気づく。

2000年には、10月10日ごろの労働新聞の報道での強調は、統一と北と南が一緒になる金日成提案の高麗民主主義連邦共和国についてであった。2001年には、先軍政策の称賛とともに、国民に金正日の朝鮮労働党総書記選出4周年であることを思い出させた。誰を尊敬しなければならないかはっきりさせるために、「兵士の革命的精神」に関する記事が10月9日に現れ、対照的に翌日に「不敗」の党が称賛された。これは明らかに、「苦難の行軍」を克服する処方せんである先軍の時代であった。2002年には、イデオロギーの決定的役割が強調された。党は朝鮮人民を指導するものとして称賛され、経済的成果が大きく強調された。ジェイムズ・ケリー国務次官補が平壌を訪問した数日後で、第2次核危機の始まりとなった彼の発言の少し前、党の明るい将来を描いた記事は、軍事がすべての上に置かれなければならないことを明確にした。

2003年には、労働新聞は金正日の党指導部就任6周年であることを指摘した。またも、人民軍が党の中核で主要勢力であることが強調された。2004年には、金正日の総書記就任記念につての言及はなかった。代わりに、自力更生の精神が中心テーマとして提唱され、制裁など外部の圧力に屈することを拒否することがすべての分野で確実に勝利する道であると明確にした。2005年は、労働新聞はさらに一歩進んで、党は先軍を提唱して、人類の独立の世界的な大義のために自国を超えて偉大な貢献をしたと主張した。

2006年の60周年の際には、党は子供たち、つまり人民の「偉大な母」として再び提示された。先軍という言葉は現れなかった。しかしながら1年後に、この先軍の時代においては、「人間改造」は党の一貫した政策であると宣言された。金日成と金正日にほかならない「世紀の芸術の保護者たち」のための記念碑の起工式が行われた。10月8日には、金正日の党指導の「40年余り歴史」が社説で祝われた。彼の総書記への選出がもはや言及されない理由を少し説明するばかりでなく、40年間、党を指導していたと主張することがどのように可能なのか読者は不思議に思った(金正日への婉曲語とされた「党中央」という言葉は、1970年代になってから出現した)。けれども、先軍という言葉は出てこなかった。翌日、労働新聞は同国の最初の核実験を報道した。2007年1月の新年社説は、核保有国になったことで防衛問題は解決されたと強調した。

2007年10月、ある記事は人民軍を称賛し、さかのぼること1947年の金日成の宴会での演説を持ちだして、先軍を省略する以外の適当な理由がないかのようであった。軍は「党、指導者、国、人民」(この順番)により任務を割り当てられた忠実な道具として示された。党は最初にきて、指導者の前でさえあり、軍を党の中核ないし主要勢力として描くことはなかった。10月9日、ある記事は党の歴史を要約し、北朝鮮の人々にそれは金日成の党であることを思い起こさせた。言い換えると、党への不忠は金日成への不忠を意味した。党、指導者、人民の二心ない団結が要請された。

母なる党、次の指導者

以上示したように、党創立記念塔は2008年以前には、労働新聞の10月10日ごろの報道では触れられなかった。中央集権化し、管理された社会では、変化のあとを見つけるには異例なことを探さなくてはならない。これはそのような例の一つかもしれない。あるいは、北朝鮮のジャーナリストが空いたスペースを政治的に正確で、重要でない出来事を報じることで埋めようとしただけであったのかもしれない。時が経てば分かる。

次に何が起きる可能性があるのか?かなり長い間、北朝鮮のメディアは、永遠の主席である金日成生誕100周年の2012年を重要な転換点であるとしてきた。これは1980年に第6回党大会を開いた32年後に第7回大会が開かれる年になるかもしれない。ペースが速まる可能性もあるが、前回大会は金正日を次の指導者として正式に紹介する目的にかなったことを思い起すべきである。今度は党が、教会の役割を掌握し、イデオロギーと二人の「永遠の」指導者の指導部を守り、唯一の必然的段階に見える集団指導性を組織し、偉大ではないが、目に見える指導者を指名することがあり得る。党の塔への最近の参観は、この解決策を発表するプロセスでの最初の一歩であり得る。北朝鮮の次の「偉大な指導者」は「母なる党」である可能性がある。
ポスト金正日は集団指導体制へ 北朝鮮の政治指導体制の将来 ルーディガー・フランク
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200810011524133

*ルーディガー・フランク ウィーン大学東アジア研究所教授 欧州気鋭の北朝鮮・韓国専門家。Japan Focusアソシエーツ

ホームページ
 
 原文はJapan Focus と米国のシンクタンク、ノーチラス研究所のサイトに掲載された。翻訳、配信について著者の許可取得済み。 
 

(翻訳 鳥居英晴) 

ポスト金正日は集団指導体制へ 北朝鮮の政治指導体制の将来 ルーディガー・フランク

9月9日に金正日が軍事パレードに欠席したことは、彼でさえ少なくとも肉体的には永遠には生きられないということを世界に思い知らせた。彼の政策が人々から嫌悪されているのにもかかわらず、彼の健康が大きな関心となるのは、彼の突然の死がもたらす結果についての恐れである。北朝鮮の体制が安定しているということは、核兵器がほぼ管理の下にあるということ、既に非常に困難になっている食料情勢がさらに大きな人道上の災害にならないこと、近隣の大国が介入し、新たな国際的危機を引き起こさないことを保証している。

 北朝鮮の安定は、韓国にどのように統一を進めるか考える時間を与えている。それには、財産権、エリートの待遇、急速で大規模な経済復興、社会保障のネットワークへの負担などの未解決の問題が含まれる。2004年に私が平壌を訪問した時、金正日の肖像が公共の場所から外されている気付き、北朝鮮における集団指導体制の可能性について短い記事を書いた。だが、ほとんど支持されなかった。当時、予想は通常、3人の息子のうちの一人か張成沢(訳注―金正日の妹の夫)に焦点が当てられていた。金正日が重い病気にかかったと伝えられ、後継者がまだ指名されていない現在、世論の動向は変化したようだ。しかしながら、なぜそのような集団的指導体制が最も可能性のある選択であるのか、分析的説明はほとんど見当たらない。そこで、わたしがここ数年展開し、示してきた議論の一部を繰り返させてもらいたい。

 金正日の後継者が1994年に倣ったものになる可能性はあるのか?すなわち、彼の息子の一人なのか、それとも別の独裁者なのか?北朝鮮の政治体制の論理を理解するために、数日ではなく、何年も費やしてきた人々は、そのようなシナリオをそう簡単には退けない。主な理由は、北朝鮮のイデオロギーの本質的要素と基礎である、その指導者の中心的機能である。ロシアのブハーリンが1921年に、労働者階級は党の指導を必要とし、党は「偉大な舵取り」の指導を必要とすると主張したように、北朝鮮におけるその指導者は社会的経済的肉体の頭脳であるとされている。頭がなくては、この肉体は明確な目標を持って生きることも、機能することもできない。しかしながら、1998年の憲法改正は、北朝鮮がこの不可能なことを可能にする方法を見出したことを示している。金日成は肉体的には死んだが、政治的には永遠の主席としてまだ生きている。それでこの問題は解決している。

 どの政治支配も正統性を必要とする。民主主義国では、正統性は選挙によって与えられる。専制制の国では、それは偉大な業績からくるか、委譲されている。金日成は、日本と米国に対し勝利したと主張し、北朝鮮ではそれは自明なものとして受け入れている。数十年にわたる彼の支配と絶え間ない教育が、極めてカリスマ的な人格とされているものと結びついて、彼が神の地位を獲得するのを確実にした。このことは、彼が正統性を次の世代、彼の長男の金正日に譲ることを可能にさせた。金正日は1980年に、朝鮮労働党の最後の大会となっている第6回大会で正式に後継者として発表された。

 北朝鮮の政治体制を太陽系に比べると、金日成は太陽であった。彼に付けられた名前と一致し、北朝鮮の宣伝で「人類の太陽」として彼が描かれるのと一致する。他方、金正日は月のようであった。明るく輝くが、それは太陽を反射しているからにすぎない。太陽が消えると、月は暗くなる。月が、別の大きな岩を新しい指導者として認められるのに十分なほどに明るく輝かせるのは難しいと知るのは明らかである。金正日が彼の子供を北朝鮮の次の指導者に就かせようと思ったなら、そのような正統性を他の者に与える地位に彼自身を持ってこようとしたはずである。しかし、彼はそうしたであろうか?金正日は1994年以降、彼自身を太陽にしたであろうか?

 答えは明らかに否である。実際、そうした方向への試みー権威と正統性の新たな源となることーがないことは特筆すべきである。金正日の銅像は一つもない。金正日広場もなく、金正日通りもなく、金正日の顔が描かれた紙幣はなく、金正日のバッジもない。後者は時々、見かけられたと報じられるが、すぐに古いものに取って代われている。2004年には、彼は公共の場所での自分の肖像を外そうとさえした、それは明らかに行き過ぎて、元に戻された。それでも今日、北朝鮮のスローガンやポスターの約半分は、「偉大な指導者金日成は常にわれわれとともにある」である。

 金正日は、父親の息子としてのみ支配でき、象徴的な中心人物として金日成に取って代わろうとすることは、木の枝に座りながらそれを切るようなもので、彼自身の正統性を損なうことになると完全に理解している。ジレンマは、金正日が金日成に取って代わらない限り、彼は父親がしたように正統性を委譲することはできないということである。従って、彼の3人の息子の中から後継者が公式に発表されていない。これは彼らにとって、重大な結果である。政治的正統性の観点では、彼らは現在の指導者の息子であるより、前の指導者の孫である。彼らは、十分明るく輝くには太陽から遠すぎるのかもしれない。

 社会主義と民族主義が結び付いた北朝鮮のイデオロギーは、しばしば宗教にたとえられる。公式の宣伝を見ると、指導者たちの超自然的の能力や奇跡を思い起こさせる自然現象についての報道がある。その男子が生まれたとされる1942年2月の夜、白頭山の正日峰の上で輝いた星についてなどである。エレベーターやエスカレーターなど、指導者が現れた世俗的な場所でさえ、崇高な熱心さで保存されている。北朝鮮を訪れた人々は、指導者たちが出席したり、活動したことを記念する金色の説明文のある赤いプレートや、山の中の石に指導者がかつて休んだことから、そこが囲いで囲まれているのに巡りあったに違いない。

 従って、もし宗教との比較を受け入れるなら、金正日の後継者は彼の息子の一人、金日成の孫の一人ではないであろうという議論を見出すことになる。世界で最も成功した一神教は、神と息子ないし預言者を知っている。ワインに水を加え続ける試みがよそでなされてきた。だが、それらの宗教はすべて消えた。生き残り、今日、優勢な宗教は一つの継承の方法しかない。金日成のプロテスタント主義との関係については、多くのことが書かれている。類似点は、北朝鮮の公式の神話に見出されてきた。彼がキリスト教の論理を彼のイデオロギー体制に直接適用したかどうか言うことは難しいが、彼は確かにそれを知り、理解していた。

 この点で、少なくともすべてが計画通りに進むとしたら、金日成の孫か別の一人の指導者による継承はまずありそうもない。計画はあるはずである。なぜなら、金日成が息子に権力を委譲し、その後に何が起きるか考えなかったというのは想像し難いからである。金正日は知的能力の高い人物であると言われている。従って、もし一人の指導者が必要とされていても、新しい指導者が指名できない場合は、解決策はどのようになるのか?

 上で述べたように、1998年の憲法は方向を示している。政府、党と軍隊、地方と都市でのさまざまな利害を調整するために、例えば「統一評議会」と言われるような集団が国を統治するために選任されるかもしれない。これは、「永遠の主席」金日成と「永遠の将軍」金正日の英明な指導のもとで行われるであろう。そのような集団が助言することがなくなってしまうと心配することはない。キリスト教とイスラム教は何世紀もの間それぞれ、一冊の本でうまくやってきた。金日成と金正日は、聖書やコーランの約数(decimal multiple)を作り出してきた。

 そのような委員会が正統性を持つためには、長い間開かれていない第7回党大会などの重要な行事を召集することなどもあり得る。金正日自身が新しい指導部の形を発表するか、それが遅すぎるのであれば、これは彼に代わって、新しい「最高行政官」が恐らく手紙を読んで行われるであろう。この行政官は、エリートの有力メンバーであろう。彼はローマ法王のように、同僚の中の首席(primus inter pares)として主導するであろう。しかし、第3の「偉大な指導者」にはならないであろう。

 こうした計画の問題は、うまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあるということである。権力に飢えた、金正日の妻たちの一族、あるいは家族の別の系統、あるいは軍の野心のある指導者が、北朝鮮の政治的安定のための長期的結果を考えることなく、権力を握ろうとする可能性は常にある。これは、われわれの予想を超えた現実の不明瞭な部分である。しかしながら、集団的指導体制は北朝鮮の政治的将来にとって最もあり得るもので、最も論理的選択である。なぜなら、世襲は機能しないからである。

*ルーディガー・フランク ウィーン大学東アジア研究所教授 欧州気鋭の北朝鮮・韓国専門家。


原文は米国のシンクタンク、ノーチラス研究所のサイトに掲載された。翻訳、配信について著者の許可取得済み。

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憤青―新しい世代のネオコン民族主義

唐青年

Evan Osnosがニューヨーカー誌で「憤青―新しい世代のネオコン民族主義」と題する記事を書いている。憤青とは中国の怒れる若者のことである。

原文

記事はチベット暴動の後にインターネットに現れた民族主義的なビデオの作者とその仲間にインタビューして書かれている。憤青の思想的背景に米国のネオコンの思想的支柱との言われるレオ・シュトラウスの影響を受けた部分があるというのは興味深い。

そのビデオは4月15日、中国のポータルサイト、新浪に”2008 China Stand Up!”と題する短いビデオである。それにはナレーションもなく、CTGZというイニシャルしかなかった。

ビデオ

6分ほどの長さのビデオは3月に起きたチベット蜂起の後に現れた民族主義のムードを捉えた。最初の10日間ほどの間にそのビデオには百万以上のヒットと数万の好意的なコメントが寄せられた。

天安門事件から19年がたったが、この春、再び立ち上がった中国の若いエリートは。自由な民主主義を求めてではなく、主権と繁栄を守るためであった。

そのビデオを作ったのは上海の復旦大学の28歳の学生、唐杰。彼が初めて作ったビデオであった。唐はサウンドトラックにはヴァンゲリスの「1492 コロンブス」を選んだ。唐は西洋哲学を専攻している。彼は現象学、特にドイツの哲学者、エトムント・フッサールが理論化した「間主観性」という概念を専攻している。

CTGZは古典の詩からの二つのあいまいな言葉からとった。changting(長亭?)とgongzi(公子)である。唐は学者としての客観性を保つために、共産党には入党していない。彼の蔵書にはプラトン、老子、ウィトゲンシュタイン、フュステル・ド・クーランジ、ハイデッガー、コーランがある。

3月にラサで暴動が始まると、彼はニュースを綿密に追った。中国の公式メディアに加え、米国と欧州のニュースサイトからの情報を得た。政府のファイアーウォールをくぐる手段があるのだ。

「そのようなシステムになっているので、われわれは常に洗脳されているのではないかと疑う」と彼は言う。「われわれはいつも違ったソースからの情報を得ようとしている。いわゆる自由制度にいるあなた方は、あなた方が洗脳されているかどうか考えることは決してないであろう」。

唐は杭州に近い農家の出身で、4人兄弟の末っ子である。一人っ子政策に違反したため、両親は穀類で罰金を払った。唐が生まれて、200キロの玄米を罰金として払った。彼の両親はともに読み書きができなかった。4年生になるまで彼には名前がなかった。四番目であるため、「小四」と呼ばれていた。父親はお気に入りの漫才師、唐杰忠を短くして彼を唐杰と呼び始めた。

彼は本好きであった。彼はたまたまノルウェーの小説、「ソフィーの世界」の中国語の翻訳を読んだ。杭州師範大学に進んだ。唐の復旦大学での先生は39歳になる哲学の教授、Ding Yunである。彼はレオ・シュトラウスの翻訳をしている。シュトラウスは政治哲学者で、ハーヴェイ・マンスフィールドなどネオコンが崇拝している。弟子のエイブラムス・シュルスキーはイラク侵攻の前にペンタゴンの特別計画室を運営していた。

Dingは古典の普遍性に対するシュトラウス派の見方を教えており、学生に中国の昔の思想を復活させるように促している。「1980年代と90年代に、ほとんどの知識人は中国の伝統的文化に否定的な意見を持っていた」と彼は言う。

改革の初期には「保守」は「反動」と同じような悪口であった、と彼は言う。中国が世界との統合に向かっているのに背いて、保守主義の新しい流れの中、Dingたちが台頭している。1960年代に米国保守主義の運動が、ポスト・リベラルの流れに乗じたように、中国の古典の復活は、中国であることのノスタルジックなイメージに頼っている。最近の最大のベストセラーは北京の教授の于丹による儒教についての講演を集めた『于丹「論語」心得』である。(講談社から「論語力」として翻訳されている)
http://www.yudan.net.cn/
「われわれは非常に西洋化されたが、中国の古典を読みだして、昔の中国を再発見した」とDingは言う。
唐は米国が中国の台頭を妨害し、経済を超えて幅広い米国の政策へと拡大すると信じている。それは「新しい冷戦」であると考える。

来年は天安門事件20周年を迎えるが、今年の春の出来事からみると、繁栄、コンピュータ、西洋化は中国のエリートの若者を寛容ではなく、生活が良くなる限り、理想主義を後回しにしている。

ハーヴェイ・マンスフィールドは中国を訪問後、次のように書いてきた。「一部の者は次のように見ている。西洋におけるリベラリズムは自分自身を見失った。彼らは原理と自然権に基づいた保守主義のためにレオ・ストラウスに頼った。この保守主義は現状維持の保守主義とは異なる。なぜなら、現状維持だけで原理がない国に満足していないからだ」。

テーマ : 中国 - ジャンル : 海外情報

中国の次の革命 ギ・ソルマン

 ギ・ソルマンの「幻想の帝国」の邦訳が最近出版されたが、ソルマンが「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」(7月3日)に「中国の次の革命」と題するエッセイを載せている。ソルマンは豊かな都市と貧しい地方の間の階級闘争は厳しいものになるであろうと予測している。以下拙訳。

 中国共産党の指導者たちは、中国は歴史的・経済的に特殊なケースであると世界に信じてもらいたいと思っている。われわれは中国を人類の進化の普遍的なルールに基づいて理解すべきであろうか?それとも、この異なるとされている文明で起きるすべてのことについて、中国中心の解釈をしなくてはならないのか?私には、中国はもちろん、他の国と同じように異なっているが、西洋で既に起きたよく知られた周期をたどるものと思われる。したがって、中国を理解するためには、孔子よりアレクシス・ド・トクヴィルのほうが今日において参考になるであろう。

 「アメリカのデモクラシー」の後に書かれた「旧体制と革命」(1856年)で、トクヴィルはフランス人がより豊かになり、自由になるにつれて、どのように王制に敵対的になったか説明した。彼はこの逆説を、高まる期待の周期として正しく描いた。フランス人が貧しく、抑圧され、絶望している時は、あちこちでの地方の反乱は除いて、彼らはおとなしいままで、国王を支持した。

 18世紀末に向かって、豊かになり、政権がより寛容になると、フランス人は落ち着きがなくなった。人々が自由を味わい始めると、しめつけに我慢がならなくなる。

 これが今日、中国で十分ありえることである。

 知っての通り共産党は、中国が新たに比較的に豊かになったのは、共産党の政治的独占と啓蒙的専制による、と主張する。確かに、中国人は今日、毛沢東政権の時より自由である。数千人の反体制派の人々が監獄に入れられているが、昔の労改とは比べものにならない。中国では今では個人の意見を表明することは許される。反党組織を作ろうとしない限り、党を批判することも許される。

 中国に通じた中国人以外の観察者は、中国人はこんなに良かったことはなかったと結論を下す。したがって、安定と共産党の独占が優先すべきであると。もしそうなら、チベットで、地震の後での四川で、少女が殺された後での貴州で起きた集団的反乱をどのように説明するのか?
トクヴィルはそうした別々の出来事の間の関連を理解するのに役立つ。中国人はこれまでになく良くなったがゆえに、ますます不満を抱いている。彼らは党に感謝しないであろう。党を排除した方がいいが、どのように党を代えるか誰も知らない。

 これは革命前夜のフランスの状況に似ている。当初はフランスの哲学者と新しい政治指導者は、王制は良くなりうると思った。憲法が採用され、法の支配が宣言された。しかし、王制は崩壊した。なぜなら、専制政治は容易には良くならないからである。

 同じことが中国の共産党にも言える。恐らく、高まる期待を満足させるのに十分早く進化することはできない。権威的政権は柔軟にはならない。抵抗するか、崩壊する。旧体制の不可避的崩壊の後に続いたフランス革命は、トクヴィルにとって、歴史的必然とは見なされなかった。遺憾な(流血の)出来事と見なされた。トクヴィルによれば、国の真の運命は民主主義であった。彼の描いた民主主義は政治体制であるばかりでなく、平等主義の文明でもあった。

 フクヤマのように、この論理は今日ではあまりに決定論的に聞こえる。だが、トクヴィルが正しかったことが証明された。トクヴィルの時代には米国にしか存在しなかった民主主義は、北朝鮮のような国を除いて、程度の差はあれ、どこにでも存在する。中国はもちろん、大きな例外である。

 確かに、村で地方選挙が行われることがある。そこでは外国人オブザーバーがポチョムキンのような雰囲気のもとで招かれる。しかし、そうした地方選挙は都市を汚染しないためのように、へき地の村だけで行われる。さらに、共産党だけが候補者を推薦でき、選挙運動は禁じられている。中央政府は、中国人はどのように投票するか「学習」しなければならないと主張する。それは非常に時間がかかる教育プロセスである。

 また、トップの選挙は党内部で行われ、共産主義者同士で行われる。この人形劇場は民主主義の始まりというより、村での宣伝の道具であり、トップの幹部の延長や政敵を無血で追い出す方法でしかない。これは昔と比べられる進歩であるが、真の民主主義にはほど遠い。

 中国は高まる期待の法則と民主主義の運命から逃れるであろうか?旧体制のフランスから現代韓国までにいたる、中国と他の国との大きな違いは中国文化にあるのではなく、共産体制にある。中国にはブルジョワジーはいない。真のブルジョワジーは政治的権力から経済的に独立している。中国においては、中産階級のほとんどは党に属するか依存している。私有財産はほとんど存在しないし、民間の事業家のほとんどは党との関係に依存している。この擬制の中産階級は、党の独占に既得権益を有しており、民主主義を望んでいない。これはトクヴィルが想定できなかった新しい種類の社会である。

 それではマルクスの出番であろうか?トクヴィルは思想の優位を信じた。マルクスは、財と経済の決定的な力を信じた。トクヴィルよりもマルクスの方が、ほとんどが都市に住む、比較的豊かな中国の中間階級である党支持者と地方の貧しい人々の間の新しい種類の階級闘争を説明できるであろう。どちらの場合も、高まる期待であれ階級闘争であれ、中国がどうなるかは予想困難であるが、安定も調和的進化もなさそうに見える。

世界の知識人100人ランキング

米雑誌Foreign Policyが行った世界の知識人100人についてのランキングの投票結果を発表した。4週間にわたり、50万人が投票したという。
候補者の日本語リストはhttp://newswire.blog95.fc2.com/blog-entry-2.html
短いプロフィールはhttp://www.foreignpolicy.com/story/cms.php?story_id=4293

1. Fethullah Gülen
2. Muhammad Yunus
3. Yusuf Al-Qaradawi
4. Orhan Pamuk
5. Aitzaz Ahsan
6. Amr Khaled
7. Abdolkarim Soroush
8. Tariq Ramadan
9. Mahmood Mamdani
10. Shirin Ebadi
11. Noam Chomsky
12. Al Gore
13. Bernard Lewis
14. Umberto Eco
15. Ayaan Hirsi Ali
16. Amartya Sen
17. Fareed Zakaria
18. Garry Kasparov
19. Richard Dawkins
20. Mario Vargas Llosa
21. Lee Smolin
22. Jürgen Habermas
23. Salman Rushdie
24. Sari Nusseibeh
25. Slavoj Zizek
26. Vaclav Havel
27. Christopher Hitchens
28. Samuel Huntington
29. Peter Singer
30. Paul Krugman
31. Jared Diamond
32. Pope Benedict XVI
33. Fan Gang
34. Michael Ignatieff
35. Fernando Henrique Cardoso
36. Lilia Shevtsova
37. Charles Taylor
38. Martin Wolf
39. E.O. Wilson
40. Thomas Friedman
41. Bjørn Lomborg
42. Daniel Dennett
43. Francis Fukuyama
44. Ramachandra Guha
45. Tony Judt
46. Steven Levitt
47. Nouriel Roubini
48. Jeffrey Sachs
49. Wang Hui
50. V.S. Ramachandran
51. Drew Gilpin Faust
52. Lawrence Lessig
53. J.M. Coetzee
54. Fernando Savater
55. Wole Soyinka
56. Yan Xuetong
57. Steven Pinker
58. Alma Guillermoprieto
59. Sunita Narain
60. Anies Baswedan
61. Michael Walzer
62. Niall Ferguson
63. George Ayittey
64. Ashis Nandy
65. David Petraeus
66. Olivier Roy
67. Lawrence Summers
68. Martha Nussbaum
69. Robert Kagan
70. James Lovelock
71. J. Craig Venter
72. Amos Oz
73. Samantha Power
74. Lee Kuan Yew
75. Hu Shuli
76. Kwame Anthony Appiah
77. Malcolm Gladwell
78. Alexander De Waal
79. Gianni Riotta
80. Daniel Barenboim
81. Thérèse Delpech
82. William Easterly
83. Minxin Pei
84. Richard Posner
85. Ivan Krastev
86. Enrique Krauze
87. Anne Applebaum
88. Rem Koolhaas
89. Jacques Attali
90. Paul Collier
91. Esther Duflo
92. Michael Spence
93. Robert Putnam
94. Harold Varmus
95. Howard Gardner
96. Daniel Kahneman
97. Yegor Gaidar
98. Neil Gershenfeld
99. Alain Finkielkraut
100. Ian Buruma

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