チベットとチベット人亡命者の溝

 カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のチベット専門家、ツェリン・シャキャがファーイースタン・エコノミック・レビュー誌5月号で、3月に起きたチベットの騒乱は外国による扇動で起きたとする説に反論する記事を書いている。シャキャが取り上げているのは先のエントリーで紹介した、ウィリアム・エングダールの記事とそれを基にしたシンガポールのストレーツ・タイムズ紙記者の程翔による記事である。
シャキャによれば、この2つの記事はインターネットやCCTVなどの中国の政府ニュース・メディアで広く取り上げられたという。エングダールは、米国のNational Endowment for Democracy(NED)の資金援助を受けたチベット亡命人グループに関する情報を基に、チベットの騒乱は米国政府の支援を受けたNGOが引き起こしたと主張する。

 シャキャは、チベットにいるチベット人と亡命チベット人のつながりについて誤解があるとする。また2つの記事は、どのような策謀があったのか明らかにしておらず、証拠も示していないし、資金以外にそうしたNGOと策謀を結びつける証拠も示していないと述べている。

 シャキャの記事の要旨は次の通り。

 著者たちは、そうしたNGOが何をし、どのような働きをしているのかを説明していない。例えば、著者たちに名指しされた主要な組織で、ニューヨークに本部があるTrace Foundationは、チベットで教育、開発、医療のプロジェクトを支援している。それは中国政府の正式な承認を受け、中国国内で活動している多くのNGOのひとつである。反中国と誤解されかねないような活動に関与したという記録はない。中国は定期的にそうしたNGOについて長期にわたる安全評価を実施しており、そうした証拠が見つかれば、公表されているはずである。Traceは中国で活動しているどのNGOより、どのような政治的グループや活動とも慎重に距離をとっており、それが数十年間にわたって中国で活動できた理由のひとつである。

 Trace Foundationはこの点で非常に厳格なので、親チベットのロビイストや一部の亡命者は、Traceが中国を支持していると非難している。Traceが中国の体制を受け入れ、その中で働いているためだ。Traceがチベットの政治や騒乱に関与したという証拠があるなら、著者たちはそれを示しているはずだ。ところが実際には、証拠としているのは、Traceの創設者が、さまざまな国で民主化のプロジェクトを支援している投資家で慈善家のジョージ・ソロスの親族であるということだけである。

 エングダールや程がしている論議は当てこすりである。つながりとは彼らの心の中で築きあげたものだ。彼らの思考の背後、(チベットでのすべての騒乱はCIAからダライ・ラマにまでいたる外部の者によって引き起こされたと主張する中国当局の思考の背後にあるものは)、亡命チベット人グループはチベット内での政治活動に関与しているという思い込みである。

 インドにいる難民は、ある種のイデオロギーを発達させ、民族主義的感情を形作り、彼ら自身をチベットとチベット人の守護者として見なすようになった。これは彼ら自身をチベット人の「真の」代表と見なし、チベット内のチベット人を単なる受け身の犠牲者として見なす見方に近くなった。チベット内のチベット人に対しおしつけがましい態度をとることが多くなった。その結果、チベット内のチベット人とチベット外のチベット人の間の文化的・社会的溝は非常に大きい。

 例えば、チベット内のチベット人は中国のポップ音楽を好むが、インドのチベット人はボリウッドを好む。2つのチベット人のグループの間の溝は単に文化的なものかもしれないが、実質的な政治的交流には大きな障害である。

 インドやその他のチベット人組織がNEDやその他の西側筋から資金を受け取っていたのはよく知られたことである。エングダールの情報はNEDのウェブサイトから引き出したものにすぎない。これは明白な証拠とは言えない。インドの亡命者へ送られた資金がチベットで使われたとは示していない。西側から資金を受け取った亡命者組織はインドでしか活動していない。チベット内で活動する能力はゼロである。

 陰謀論者は、インドとチベットのチベット人の間で、思想と人々の自由な流れと交流があると思っている。だが、そのような流れはない。インドのチベット人がチベットを旅行するのは事実上、不可能である。なぜなら、中国政府が祖国を旅行したいと思っている者は中国の旅行書類を得るように要求しているからである。外国のパスポートを持っているわれわれのような者でさえ、中国のビザを得るのは難しい。特にチベット自治区といわれている中央チベットを旅行したい場合は特にそうである。

 中国によりテロ組織にされているチベット青年会議は、インドのチベット人にとって最大の社会・政治組織である。そのメンバーは、ほとんど全部がインド生まれのチベット人である。その政治戦略はインドの政治文化の影響を受けている。だが、彼らはその言動をチベット内で実際の行動に移すことはできない。

 チベット内である程度、接触を持っていると言うことができる唯一の団体はGuchusumである。その団体の名前は、1980年代後半にラサで起きたデモの日付のチベット語からきている。そのデモに参加し、そのために投獄された人々によって設立された。彼らはチベットから比較的最近にやってきたために、チベット内に家族や社会的なネットワークを持っている。けれども、このグループは小さく、ほとんど福祉団体として機能し、政治犯であった人やチベットから新たに逃れてきた人々のためのネットワークを支援している。これを除いて、内部的つながりを持った組織はほとんどない。

 これは、チベット内の人々が亡命者や外国人の見方や活動について知らないということではない。チベットとチベット人の間で大きな影響を与えた米国の取り組みのひとつが、チベット語放送を設けるという1991年の「米国の声」と1996年の「ラジオ・フリー・アジア」の決定であった。これも、秘密の活動や騒乱のための秘密の連携ということではない。そうした番組は、人々が違ったニュースソースに飢えている社会で、それを提供しているだけである。

 チベットでの最近の暴動とデモを引き起こした要素の中で一番重要なものは、パンチェン・ラマ10世選びで中国が1995年に犯した大きな間違いである。共産党は一般チベット人の願いと慣習を無視して、彼らが選んだパンチェン・ラマを押しつけた。彼らは、チベット人の大多数と中国におけるチベット仏教徒の反対にあった。党は、以前は政府を支持していた僧院さえ敵に回した。パンチェン・ラマの伝統的な居場所であるチベット第2の町、セガツェにあるタシルンポ寺はその少年の受け取り拒否し、その少年を受けとることを認めたラマや僧院はない。かわいそうなその少年は北京の宮殿に閉じ込められている。

 1990年代後半になると、僧院は危機を迎えた。党が僧院の空間に侵入し出す一方、多くの長老のラマが老齢のために亡くなり始めた。タール寺からカルマパやArgya・リンポチェら長老のラマが外国に逃亡した。最もえらいラマがいなくなり、チベットで指導層がいなくなった。過去において、そうした長老のラマは穏健な声として、また、僧や社会をなだめるものとして、行動した。党は仲介者として彼らを使うことが多かった。

 党は、彼らがいなくなれば、伝統的権威を壊すいい機会だと見なした。中国の反体制家のように、外国に亡命すれば、その重要性はなくなると考えた。党が気付かなかったことは、反体制の知識人とは違って、ラマがどこにいようと、そのラマの僧院と信徒はそのラマの言うことを聞き、指導者と見なしたことだ。

 ラマの亡命は予期しない結果をもたらした。1980年代と1990年代のチベットにおける独立を求めるデモは、ラサを越えて広がることはなかった。なぜなら、ほとんどのラマは、態度を決めかねていたし、信徒をなだめるために影響力を使った。今年は、抗議が起きたほとんどの地域は、長老のラマがチベットを離れ、インドに行ったところであった。

 チベット内のラマとインドのラマの間のつながりを作り出したのは、チベットから最近着いた長老のラマである。2000年初めには、青海と四川のチベット人地域からますます多くの人々がインドに来るようになった。1980年代と1990年代には、インドに来るチベット人はほとんどが、チベット自治区からであった。過去10年の間には、インドに来る人々は、ほとんどが東チベットからである。これは、チベット自治区と東部地区の間の政策の違いとして部分的には説明できるが、部分的な説明でしかない。

 ほとんどは、地元のラマがインドにいるからきたのである。宗教的な教育やイニシエーションを受けるために行かなければならなかったのである。チベット仏教は複雑で、宗教実践や宗教知識を伝えることは、本を読むような簡単なことではない。知識の伝達は、現在の師を通じた、ブッダから言葉を聞いた最初の弟子からの教えという不断の伝達という考えとともにある。そうしたつながりが示されないと、教えは正当性を持たない。

 チベットを離れたラマはインドに僧院を建てた。ラマがどこにいようと、そこがラマの正当な居場所と見なされる。従って、チベットの僧院はすべて、指導と宗教の教えの源として、外を見る。チベットの歴史的な僧院とインドに新しく建てられた僧院の間の人々の流れは1980年代から、絶えず続いた。毎日、電話をする。僧がインドに2、3年間過ごし、チベットに戻るというのはよくあることである。同様に、チベットからの僧が教育のためにインドに来なければならない。なぜなら、知識を伝え、灌頂を授けることができるラマはチベットにはごくわずかしかいないからである。

 僧院は、NEDやその他の西側政府機関から一銭も資金は受け取っていない。事実、近年、チベット仏教の最も大きく、惜しみない支援者は香港、台湾、マレーシア、シンガポールの中国人社会のメンバーである。布施をする中国人は予算も会計も求めない。通常の敬けんな信者のように、数千ドルを渡すだけである。チベット内の国境を超えた政治的経済的影響力のもとをたどると、それは亡命者でも西側の人間でもなく、開発NGOでさえもなく、中国人信者である。

 陰謀論者が資金をたどり、策謀を探りたいなら、西側の陰謀ではなく国民党の陰謀として見なければならないであろう。陰謀論者は外国勢力の投影という不気味な空想を描くのではなく、チベットでの政策と失敗の歴史を学習し、チベットで実際のチベット人と話し合えば、より多くのことを学ぶであろう。

原文
http://www.feer.com/essays/2008/may/the-gulf-between-tibet-and-its-exiles

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